過去記事「知ってほしい。大阪空襲訴訟」へ参加しました。

20171208 「知ってほしい。大阪空襲訴訟」へ参加しました。

あたしがその会場に滑り込んだのは、イベントの最後20分だった。

「知ってほしい。大阪空襲訴訟」と言うリーフレットをいただき、すでに話が進んでいる中に混ぜてもらう。

ちょうどその時に話していた方は生まれて2日目に片足に大怪我を負った方、その瞬間の記憶はなくても、大きな傷が足に残った。肌がケロイド状になり、もう片方の足に成長は追いつかず左右の足の長さが合わなくなってしまったそう。

障害児に対応できないと言う校長先生をご両親が説得して、近くの学校に通えたそう。

遠足の時にはお父さんがお仕事を休み付いてきてくれた。

みんなのようにスカートを履きたいと装具をつけることになったが、そのためには足を切らなければならなかった話、大人になって結婚してお子さんを産んだ時に、お子さんのきれいな足を見て、戦争さえなければ自分の足もこうだったのだろうなと思った話。

うまく話をまとめられないでごめんなさいね、とおっしゃったその方のその声は、「まとまらない」その想いそのものが胸に突き刺ささった。

何も悪いことはしていない、ただ、戦争中に生まれた。ただ、それだけの理由。

話の中で驚いたのは、そうした一般の被害に遭われた方が軍人さんなどとは違い、全く保証など受けていないことだった。

大人になっても、今になっても、補償もらえてるんでしょ、と人は言う。だけれども、そんな補償を戦争が終わり何十年経った今ももらうことなく、訴訟は終わっていない。

別の方が話す。

一般人はなんの補償もしてもらえなかった。戦争の色濃くなってきている今、私たちが補償の前例を作ってあげておかなくては。

また同じことが繰り返される。私たちのように、家族を失い障害を抱えても、何も補償されない事にと。

そしてこうも呟いた。A級戦犯だって補償されているのに、と。

こうやって、戦時中幼かったり、その時に生まれた方達が忘れないためにと今も戦い活動を続けていることを改めて知る。

あたしたちに何ができるのだろうか。

その方達の活動に応えるためにはまず戦争を起こさせないこと。

一人では無理かもしれない。けれど、一人ずつができることがあるはず。

改めて自分のやっていることにどう反映して行くかを考えるタネをあたしは受け取った。

正直言うと、こう言う場はダイレクトに「くらってしまう」のでできるだけ行かないことにしている。

が、あまりにも近い場所。お友達からのお話だったのでなんとか少しでもと参加した。

自分に必要な機会は必ず向こうからやってくる、。そこには逆らわない。ありがとう。

あたしにできることは、書きづつけること、そして、歩みを止めないことだけ。

大阪空襲訴訟を伝える会

http://www.osaka-kusyu.org/blog/




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