SNSで可視化されるもの

‪「見せている」のか‬。 ‪

「見られている」のか‬。  ‪


この違いが分からないと、SNSでの可視化の意味はいつまでも分からずに使いこなすこともできない。‬ 

 ‪SNSは、どこまでいっても「見られている」のだと思います。

‬ ‪だからこそネット選挙でSNS対策を広告代理店に頼るのは限界がある。‬ 


 そして一見、誰にでもできそうだから油断する。

 例えば応援してます!と言う投稿は、その人の応援したい!と言う気持ちが可視化される。 

 もしくは、その人の応援というものに対してのスタンスや手法が可視化されるのであって、その内容が伝わることは、そっから先にある副産物だったりする。 

 どういう言葉を使うかを考えている思考や感情が可視化されるのです。


 (めっちゃいい人で応援してるねん!)なのか、

 (まぁ他におらんししゃーないから応援してるねん)なのか、

 (自分のポリシーアピールするにはこの人応援しとこう。) 

 (この人っていうよりこの党だから応援するの。)なのか。 


 それは人それぞれ。

 選挙に関しては特に、それらスタンスについてどう感じるかも人それぞれだから、どれがいいとか悪いとかではなくて、そのかっこの中の思いの方が投稿からにじみ出て空気を放っている。 


 また、 (これのこのやり方をアピールしたいんだ!) だったり、

 (この言葉素敵でしょ!!) と

言ったような、本筋でない手法だったりするものへの感情もあたしは可視化されていると思う。


 (いや!ちまこ今めっちゃええこと言うたんちゃう?!みんな拡散したくなるんちゃう?!ちょっと見て!) 


 なぞと下心出した日にゃさっぱりRTされないのである。

中身への想いよりも、その書き具合に酔ってしまうと、そういう下心がバレてこうなる。 


 バレない場合もある。

それは同じような下心を持ち合わせている方には響く場合があるからだ。 

 そこでうっかりそれに気がつかないと、開けているはずのSNSの世界で、類友が集まってどんどん内向きになっていく。 


 大変なようだけれど、実は「自分と向き合う」という事でもあり、だからあたしはネット選挙が好きなのだなと思う。 

 選挙をこなす度に、知らんかった自分の考えや感情を発見できる。

可視化された自分への反応のお陰でそれらを発見できる事もある。


 可視化とはどこまでいっても「見られる」という事で、そこから自分を再発見できるチャンスでもある。

 「見て欲しい」ものと「見られている」ものとのギャップを埋めるにはどうするか。


 自分を知って、自分を楽しむ、事なのかもしれない。 


 だから選挙楽しめ!選挙は愛だ!とあたしは今日も叫ぶのである。


(いや、叫んでない。) あ、それと。そのためにも選挙近くならないとSNSを動かさないのもだめだと思います。


 選挙にためにしかSNSでの人付き合いをしない人、と言うのが可視化されます。 

 見るだけで投稿しない人も同じ。

それが可視化されているのです。 

 投稿したものだけで判断されると思ったらそれも大間違いなのです。


 口コミはタイムラインだけで起こることではありません。

SNS水面下やリアルにも波及していくのです。 

 そこ認知できてないとやらかします。

 別に品行方正に生きろとは言いません。 (そんなの、あたしもできない。) 

 ただ、自分が可視化されちゃってるんだよ、と言う意識を一つ持つことで、何か自分を変えるきっかけにも、誰かの気持ちを思いやるきっかけにもなると思う。 


 だからこそ、あたしは選挙もSNSも好き。 (要はそこか。)



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かぼちゃTV

やりたいことをやる。 言いたいことを言う。 紹介したいものを紹介する。 油断してたら可視化してやる。 誰だってそうしていい世界にしましょう。 ド偏向メディア。 暇人党員も時々寄稿。 #一緒に前へ #歩き続けろ 暇人党総裁。ネット選挙スキー。本業は魔女。